こんにちは、35期の徳田です。
大変遅くなり申し訳ありません。
また、田口氏のブログを期待してくださっていた皆様、徳田ですいません。
次は抱腹絶倒間違いありませんので、ご期待ください。
部を引退してから2カ月ほど経ちました。少しばかりの筋肉はさらに少なく、ほどほどにあった脂肪は一層たくましくなりました。というわけで、夏合宿にお邪魔するのはダイエットのためです。現役の皆さんあしからず。
さて、体型の変化と同じぐらい劇的に、部活をやっていたころの記憶が薄れつつあります。いや、記憶というよりは感覚かもしれません。うーん、意味不明。
とりあえず、せっかくの機会を利用して、まずは入部からの記憶をまとめてみたいと思います。ハッピーストーリーを描くのは簡単なので、やめておきます(笑)
ちなみにめちゃくちゃ長いです。全部読んだ貴方は暇人認定されます。
さて。
そもそも、なぜソフト部に入ったかといえば、野球系のスポーツがしたかったから、ということだけです。
上クラに白石さんと田中さんがいたというのも大きかったですね。
やる気に満ち溢れていたわけでも、もちろん実力があったわけでもなく、いつ消えてもおかしくない一年生。
でも練習は楽しかったし、純粋にうまくなりたいと思って練習していました。
レギュラーには到底なれずとも、出場機会を与えてもらえたことは大きく、徐々に意識は変わっていったんだと思います。
2年になると外野になりました。あのままファーストを続けていても田中さんには敵わなかったので、外野へコンバートしてもらったことには感謝してます。
外野なんて一回ミスしただけで試合が壊れるじゃん、いやだー、と最初は思っていました。小心者ですねー。チキンチキン。
そんな小心者がまさかの春リーグで途中出場。東洋戦だったと思います。
途中出場とはいえ、決まった試合ではなかったし、緊張でガチガチでした。
とにかく上原さんの位置を確認しまくっていたことと、宇都宮の声に助けられたことだけ覚えています。
夏になって初めてスタメンで出ました。練習試合の学芸戦で、まさかの一番ライト。まさかの3安打。
そして、そこから怒涛の転落が始まりました。
打てない、全く打てない。別に調子が悪いからではなく、単に実力不足で打てない。
同期からレギュラーを奪った形だったのに、はるかに同期の方が使えるだろうと思えて、彼に申し訳ないとか、そもそもなんで自分が試合に出てるんだろうとか、そんなことばっかり思ってました。
そんな感じで秋リーグは何もできず、チームも結果を出せずに終わりました。
悔しかった。入れ替え戦は完敗だった。次こそはと思いました。
そして、ふんわり部活をやっていた自分にもモチベーションができました。
一つ目は、自分がうまくなれば勝てるということ、二つ目は、こんな下手っぴなままで終わりたくないということ。この二つは自分が最後まで続けた大きな理由となりました。
たぶん、そう思えなかったら、2年の秋で辞めていたでしょう。
3年になったら週3、あるいは週4で始発に乗らなければいけません。そんなの無理だよー、と、実際同期にはそう言ってたと思います。弱いですねー。ただのザコですね。
そんなわけで3年になりました。
チームにとっても、35期にとっても苦しい一年じゃなかったかと思います。
春は絶対に2部にいけると思っていました。相手がなめているとはいえ、関東一部校に勝ち、あるいは善戦し、手応えはありました。
でも、負けた。
自分の後ろを打球が転々とする映像はずっと忘れないでしょう。先輩に土下座して回りたいぐらいでした。
そして、自分たちの代になりました。どこからどう見ても、完全に不作の35期。
下級生の方がずっとうまい。というか、上級生が下手。
偉そうだとは思いつつも、キャラでないとは思いつつも、同期にはわりと厳しく接していたと思います。ひどいことも言いました。この場を借りてお詫びしますm(__)m
とにかく、秋で2部に上がり、最後の春は2部でプレーしたい、それだけでした。
でも、やっぱり2部にはあがれなかった。
これにより、35期は1部はおろか、2部でもプレーすることのない屈辱的な代となりました。(これ何回も言ってますね)
先輩方は1部で戦い、インカレにも出ていたのに、なんとその2年後からひたすら3部。ありえません。
春に続き、秋も負けたのはかなりこたえました。
正直、しばらくやる気を失いました。
でも、このまま終わっては先輩に申し訳が立たないし、何より可能性のある後輩にはもっと上のレベルでやってほしいから、最後2部に上がって終わってやろうじゃないかと、それが今まで何もやってこなかった罪滅ぼしかなと思って、凍えながら冬を越えました。
でも冬の本郷練はしんどかったね、みんなお疲れ様です。
はてさて、そんなこんなで最後の春リーグ、2部に上がれました。
春リーグは正直言ってよくわからないまま終わりました。よくあるサクセスストーリーではなくて、なんとなく勝ちあがっちゃったな、という感覚です。
勝つときはそんなもんだよ、と言われればそうなのかもしれませんが、今まで散々跳ね返された過去を思えばあまりにあっけない終わり方。
3年の春はピーピー泣いてたのに、最後はボーっとしてしまいました。
現役の皆には、君らの力で上がれたんだから、二部でも自信をもって頑張ってほしいです。
ただ、ここにくるまではたくさんの負けがあって、34期をはじめとしてたくさんのOBの方の思いがあるんだということを忘れずにいてほしいと思います。練習や試合に多くのOBに来て頂けるというのはありがたいことです。祝勝会の乾杯で言いたかったのはそういうことです(笑)
なんだか羅列しただけの文章になってしまいました。最後に少しはまともなことを書いて終わりましょう。
自分が主将になった時、一つだけ目標にしたことがありました。
皆もおそらく思っていたように、自分は主将という柄ではないし、かといって実力があるわけでもない。だから、白石さんのような、絶対的な主将にはなれない。
ただ、チームが一つのまとまりとして機能するようにしたい、それだけは思っていました。
この部が他の運動部と違うところの一つには、部員間の温度差が非常に大きいことが挙げられるでしょう。
自分はこれが本当に嫌だった。
今は部員数が少ないためにそんなこともないかもしれませんが、多い時はその温度差が如実に出ていました。
勝利(至上)主義と教育的価値、運動部的価値観とサークル的価値観。別にどちらが正しいわけでも、どちらが間違っているわけでもありません。ただ、この違いは一つの組織を運営していくのに到底見過ごせない違いです。
しかし、いざ主将になって部員と話してみると、その温度差はもはや手を付けられないほど大きなものとなっていることに気付きました。価値観の違いは根が深いものです。よく「相手の気持ちになって考える」といいますが、どこの天子がそんなことできるんだと思わずにはいられません。相手の考えを相手の身になって考えること、相手の思考回路を理解すること、難しいです。寺西の言っていることは的を射ていると思います。
そんなわけで自分は早々に諦めました
唯一の目標を簡単に捨て去ったわけです。
むしろ、このチームはいったんサークルになるべきではないのかとさえ考えました。
OBに対する申し訳なさを除けば、それは残念なことではあれ、悪いことではありません。
自分が言うのもなんですが、この問題はしばらく東大ソフト部の課題であり続けるでしょう。
一般的な運動部とはかけ離れた運動部ではありながら、サークルよりはずっと厳しい、不安定な運動部。
ちょっと単純すぎるかもしれません。二者択一の問題でもないかもしれません。ただ、東大ソフト部がこれからどういう組織になっていくのか、楽しみです。
(今の代にあてはまらない話であればお許しくださいm(__)m)
最後の最後になりますが、この場を借りてOBの方々、先輩、同期、後輩に感謝します。
たくさんの人に助けられました。感謝しているとキリがないのでやめておきますが、とにかくソフト部に入って良かったです。本当にありがとうございました。