お久しぶりです。40期の西舘です。
現役は8月8日からオフに入ったということで、オフ期間ブログの先頭を務めるよう森岡から指名がありましたので、トップバッターを務めさせていただきます。
さて、早速ではありますが、8月7日、東日本大会の明治大学との試合を持ちまして、ソフトボール部の方を引退させていただきました。
OBの方々には4年の秋まで続ける、と宣言することが多かったのですが、今回このような決断をいたしました。
大きな理由としては一つ。「ソフトボールが一番」ではなくなったからでした。
卒業論文をただの卒業論文にしたくなかったり、複数所属しているゼミの活動に重きを置きたかったり、などといったことがあり、さらには大学院試験が9/15までということで、22日開幕のリーグ戦の調整をしていくのはとてもじゃないけど難しいと思い、東日本大会を自分の区切りにさせていただきました。
まず、OBの皆さまには多くの方々にご期待、ご指導賜り、本当に感謝しています。
たくさんのOBの方から1年生のころから、総会や練習で「期待している」、「もっといい投手になれ」などの言葉をいただきました。それが励みで、苦しい時も、特に3年の秋以降は同期が自分だけ、という中でも部活をやり抜けたと思っています。本当にありがとうございました。
そして、その期待に応えられなかったことが、本当に悔しくてなりません。打者としても年の衰えもありますが、小さくまとまった、というところですし、投手としても一皮むけることはできませんでした。そういう意味では、OBの方々には本当に申し訳が立ちません。
それでも、高校までの野球人生が「与えられた野球」ならば大学のソフトボールは「挑戦」をたくさんした4年間のように感じていて、ただ、ソフトボールができた環境に感謝しています。
ファイナル部員ブログのために、ネタはいくつか残しておきたいので、今回は、簡単に大学生活を振り返る、程度にしたいと思います。
1年生の頃は良くも悪くも怖いもの知らずだったな、というのが今から振り返った感想です。大学初打席がレフトオーバーの3ランホームランという自分の野球人生には本当にふさわしくない華々しいデビューも相まって(ちなみに高校初打席はセーフティバントの内野安打でした。)「勝ったら自分のおかげ、負けたらチームのせい」くらいの開き直りで常々試合に臨んでました。生意気な1年ですね。でも今思えばこれくらいの開き直りが投手には求められるのかな、とも思います。
そんな中で一番のターニングポイントは一年秋のリーグ戦での明星との試合でしょうか。当時は生意気だった自分でもわかるくらい自分の責任で負けた試合でした。詳細は省くとしてこの試合の日の野球ノートには「マウンドに登る責任感」と一言書いてありました。この試合が自分にとっては一つのターニングポイントだったように思います。生意気さを捨て切れたかは別として、「捨てないと」と思い始めたのはこのころだったな、と思います。
それからフォーム修正、2ステップの挑戦、などいろいろやりました。今思えば中途半端に。その結果、1年生の頃は自信があったコントロールが大変なことになりました。
2年の秋ごろから「マウンドに登るのが怖い」、と正直思うようになりました。
そんなタイミングで主将という役職を務めることになったのが3年生の1月でした。
チームを一番勝ちに導くべきはずの立場で一番勝ちに対して足を引っ張っていた、そんな自分が本当に嫌で嫌で仕方がなかったです。
3年の春以降はマウンドに上がることも少なくなりました。1年の頃からエースとして、当たり前のようにマウンドに登っていたこともあったので、正直葛藤がないといえば嘘になります。それでも乗り越えられたのは、主将という立場だったからだと思います。
主将という立場だったおかげでチームの一員として、腐らずにプレーできたのかなと思います。そういう意味で、主将を任せてくれたチームには本当に感謝しています。
2部昇格を果たした3年の秋の試合は1試合1試合必死でほとんど記憶にないですが、最後に今川が勝利を決めたインコースの三振のボールはきっと一生忘れないと思います。それくらい、昇格が決まった瞬間はうれしかったです。うれしすぎて鼻血が出たほどです。(実話)
その後、同期の橋本、吉野が引退して、一人で部活を続けるか迷いました。でも結果として、いろんな葛藤、紆余曲折はあったけど、続けてよかったなと思います。
他にも、ソフトボールを通してできたいろんな人とのつながりのおかげでここまで部活を続けてこれたなと思います。
ソフトボールという競技柄、そして学連委員会のおかげでたくさんのつながりができ、そのつながりが自分にとっての励みでした。
京大戦を通してできた京大同期とのつながり、リーグ戦を通してできた元三部同期主将たちとのつながり、早稲田練でできた早稲田同期とのつながり、他にもいろんなチームのたくさんの選手とつながれたおかげで、本当に1試合1試合を楽しめました。
そして、東大ソフト部のプレイヤーとできたつながりは中でも一層かけがえのないものです。
最後の引退試合、最終回2番からの攻撃で6番の自分まで打席をつないでくれた時は、本当にネクストで涙が出そうでした。「気持ちで打った」とよく聞きますが、最後のレフト前のタイムリーは完全に「気持ちで打たしてもらった」ヒットです。
「最後に西舘さんまで回そう」と言ってくれ、有言実行してくれたチームには本当に感謝してやみません。この大学最終打席も、きっと一生忘れないと思います。
こんな感じの4年間だったのですが、改めて振り返ると、「感謝」という言葉をたくさん使ってんな、と思わされました。それだけ恵まれた、充実した4年間でした。
これから先、チームを離れるというイメージが今は全くわきません。きっと院試などが終わって一通り落ち着いたころに初めて気づくのかななんて勝手に皮算用してます。
これからはOBの立場として、後輩たちを全力で応援していきたいと思います。
いつか、きっと遠くない先に、またソフトボールがしたくなるような気がします。そんな時はOBの皆さん、ぜひ一緒に練習に顔を出しに行きましょう。
振り返って改めて、この部活で大学生活を送れてよかったなと思います。東京大学運動会ソフトボール部とそれにかかわるすべての人に感謝の言葉を記して自分のブログを終わりたいと思います。
本当にありがとうございました。
次は、自分が次の秋リーグの1番のキーパーソンだと思っている山口にお願いしたいと思います。